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 大正2年(1913)、椎尾 辨匡(しいお べんきょう)先生が36才8ヵ月という若さで校長として就任されました。先生は本校の卒業生であり、当時の東京帝国大学哲学科宗教学を抜群の成績で御卒業。卒業式には明治天皇行幸のもと銀時計を拝授する光栄に浴されました。校長就任早々、先生は前年の大暴風雨により倒壊・大破した校舎の再建に取り組まれました。同年に校訓「勤倹誠実」を掲げられ、大切な実践行動として食作法(じきさほう・食前に唱和する言葉)を定められました。この校訓と食作法は学校の精神的支柱となっています。
 校舎再建に際して、従来の忠魂祠堂は、「明昭殿」と改称(現在の「明照殿」の旧称)。さらに大正4年(1915)には堂々たる姿の本館が完成するなど、教育環境が着実に整ってきました。
明昭殿
大正2年2月着工、9月に竣工をみた明昭殿。
(旧制)中学第2代 椎尾辨匡校長
(旧制)中学第2代 椎尾辨匡校長
大正4年新築早々の本館
大正4年新築早々の本館。
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