法然上人が開かれた浄土宗では、生命尊重の仏教精神に基づく教育を行うため、東京・仙台・名古屋・長野・京都・大阪・山口・久留米の8ヵ所に学校を設けることになり、本校は明治21年(1888)に「浄土宗学愛知支校」として創立されました。
 最初の校舎は西蓮寺(現名古屋市東区東桜2)内に建てられましたが、明治24年(1891)の濃尾大地震のため大被害を受け、明治25年(1892)に建中寺塔頭(たっちゅう)の正信院地内に建中寺校舎を建設して移転。明治27年(1894)には日清戦争が開戦となり、国内に送られてきた清国捕虜の収容所不足のため、建中寺校舎の一部が一時収容所として使用されたこともありました。
初代 武田芳淳(ほうじゅん)校長
浄土宗学愛知支校
初代 武田芳淳(ほうじゅん)校長
建中寺校舎ヘ移って最初の第3期卒業記念写真(明治26年)。
建中寺校舎ヘ移って最初の第3期卒業記念写真(明治26年)。前列中央白衣の武田校長の左上、頭のきれいな少年僧こそ17才の椎尾先生。前年、建中寺に移転してすぐ本科3年に編入し、一年経って優等生として卒業されました。背景は焼失前の建中寺旧書院玄関。
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